1971年1月2日の都電荒川線の思い出-その2

(2)鬼子母神前から大塚駅前まで

 
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鬼子母神駅を過ぎると線路はU字谷を真っ直ぐに突っ切ります。そして路地と言う路地が全て小さな踏切で線路を横切りますので、こんな景色に接した事の無い私にはとても異常に見えました。そんな踏切の一つでカメラを構えていると、早稲田行きの電車が通り過ぎ、お年玉で買い物に行くのでしょうかチッチャな男の子が踏み切りを、寒さで顔を真っ赤にしながら肩をすぼめて小走りに渡ってゆきました。お店屋さんが開くのを待っていたのでしょうね。
 
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男の子が通り過ぎてから待つことしばし、対岸の一番高い所に電車が現れ、坂を駆け下ってその勢いを借りてかこちら側の勾配を駆け上ってきました。ちょっとしたジェットコースターの感じでした。この電車も荒川車庫前行きでした。出くわす電車は全て32番荒川車庫前と有りましたので、早稲田三ノ輪橋間の全区間を走行する電車は運転されていなかったのでしょうか。
 
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この写真多分東池袋と向原の中間辺りだと思うのですが、もう一つ自信が持てません。学習院下とか鬼子母神前辺りとは雰囲気がかなり異なりました。戦災を受けたのか急造の家屋が多く、風の強い日とは言え散乱するごみの量には些か脅かされました。学習院下で見たご婦人の掃除する姿とのギャップが酷すぎて、僅か一二キロほどの距離でこんなに光景が変わるものかと感心したものでした。
 
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向原を過ぎて大塚駅前に近づくにつれ辺りの佇まいがごたごたしてきました。やはり駅前に近づくと町の様子が一変するのですね。 6000形電車はこの出会いが初めてでした。7000形や8000形ばかりを見てきた目には戦後の都電の代表車は実に新鮮に写りました。聞こえてくる釣掛モーターのうなり音がなんとも素晴らしかったです。
 
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眼下に大塚駅のスレート葺きの駅舎が見えました。エスカーブの連続する急勾配区間、運転手さんは気を使うでしょうね。風が強いとは言え、正月の二日目なのにこのごみの散らかりようや路上駐車の列は酷いものです。大阪のカマガサキでもこれほど酷くは無いでしょう。やはり東京は寄り合い所帯の街だと思います。昔からの下町を離れると、移住者達が夫々勝手に暮らしており我が町を愛する気持ちが微塵も感じられない。東池袋辺りだけがそうだったのかも分かりませんが。
 

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Last-modified: 2011-12-01 (木) 13:14:32 (2756d)