阪急の旧型車達 その1…木造車(2)

No.16:能勢電の平野で見た13番の休車体

 
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13番 能勢電鉄平野にて 1970年5月
千里万博のあった年の五月ごろ社用で能勢町に行く機会があり、たまたま能勢電鉄の線路沿いの道路を一庫から能勢へ抜ける心算で平野辺りを通っていた時、阪急の小型車が多数留置されているのを見つけました。当時甲陽線や伊丹線は既に610系が主力になっており、車幅の狭い小型車は阪急線上を去り、一部が能勢電鉄や広島電鉄で活躍していました。そんな時偶然ここを見つけたわけです。
13番の連結面が写っていますが、この貫通路の開口部は高さが低く幅も狭く、体重が76kg身長が176.5センチあった私はよく頭をぶっつけもし、通行がかなり窮屈だったことを覚えています。運転台側サイドにも貫通路があり片隅式の運転台でしたが、とても狭くて椅子が無く運転手さんは窮屈そうに前屈みになって立ったまま運転していました。かなり運転しづらかったと思います。そして天井が低い電車でした。
この写真を撮った時の能勢電はパンタグラフ装備の320系や500系が3両編成で運用されていましたが、10形が能勢電の主力だった時代がありました。未舗装道路の道端に敷かれたバラス皆無の線路をポール装備の10形電車が二両編成で土煙を巻き上げながら行き来していました。線路状態が劣悪でしたのでツーモーターの電車ばかりで、MGも取り外されていたようです。至って遅い速度で運転されていましたが、ポールが無造作に張ったような電車線について行けずに離線し、その度車掌が窓から半身を乗り出しポールを掛けなおそうと懸命になっているのを度々見た物でした。この13番も能勢電に貸し出された車で阪急時代の車番は22番で、能勢電時代はパンタグラフがポールに取り替えられ28番とコンビを組んで活躍していました。能勢電に320形が登場した際に再度パンタ化され、1966年に500形に追い出される形で阪急に返還され、事業用の電車に改造される予定でこの地で長らく待機しておりましたが、ついにこのまま解体されてしまったようです。ポールつきの600V車からパンタグラフ装備の1500V車に変身、再度ポールつきの600V車に変身しそしてパンタグラフ装備の600V車で一生を終えた変化に富んだ生涯を送った電車でした。
単線時代の能勢電を覚えてられる方も少なくなったのではないでしょうか。そしてこの辺りも今では、三ツ矢サイダーの炭酸泉の井戸が有った時代の田園情緒たっぷりだった面影さえ微塵も感じられないほど変わってしまいました。
 
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Last-modified: 2008-03-22 (土) 23:32:08 (4104d)