阪急の旧型車達 その1…木造車

No.5: 40番

 
 
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ポール姿の40番 1946年3月20日 西宮車庫にて 浦原利穂氏撮影
 
40形電車は1922年に複線化された西宝線(現在の今津線の西宮北口〜宝塚間)の輸送力増強用に大阪の藤永田造船所(現在の三井造船)で1923年に新造された木造電車でした。車長が10.5m車幅が2.3mで定員65人の小型電動車でした。この電車の大きな特徴は阪急初電気ブレーキ装備車だったことです。連結運転を考慮していなかったので直接制御方式でしたがノッチが電気ブレーキ付きでした。1936年ごろまで今津線で活躍していましたが、今津線にも二両連結運転が導入されるに伴い、連結運転可能な1形と目蒲電鉄から移って来た元院電の90〜95に追い立てられるようにして、当時車両不足が深刻だった能勢電鉄に41〜43・45が貸し出され40・44は箕面線専属になりましたが1946年に引退し池田車庫内で事業用に使われていたようです。
能勢電時代の40形は何度か乗りました。酷い保存状態で、砂利道の脇に敷かれて砂利と雑草に半ば埋まったレールを砂煙を巻き上げながらミッシミッシと揺れながら自転車並みの速度で走っていました。その所為か車体が土塗れで色さえ判別できないほどでした。又架線の状態が悪いのでポールが良く離線し、その度に車掌さんが窓から半身を乗り出し戻すのに苦労していました。今日の能勢電からは想像できない光景でした。
能勢電鉄へ行った内の二両が後に鋼体化され60・61になりました。
40形にそっくりな電車に37〜39の三両がありました。スタイルは40と殆ど変わらないのですが、ベンチレーターが両端だけで、1935年頃に集電器をパンタグラフに取り替えていました。1921年に伊丹線用として梅鉢鉄工所(現在の東急車輛)で新造した電車でした。伊丹線沿線の人口が増えるにつれ手狭になり1形にバトンタッチして37番は甲陽線に38番と39番は箕面線に移りました。37番は1946年まで甲陽線で活躍しましたが、7番とバトンタッチして箕面線用進駐軍専用車になり全三両が箕面線に集結しました。占領を解かれた1949年に進駐軍専用車が廃止になると全車両が能勢電に貸与され、1953年に鋼体化されて能勢電の50〜52番になり1982年まで活躍しました。
37形は自動連結器を装備していましたが直接制御のままで連結用のエアーホースの装備も無く、結局連結運転されることは無かったようです。甲陽線時代37番によく乗りましたが天井の低いちっちゃな電車でした。台車にブリル77を履いていましたが乗り心地は7番8番ほど酷くはなかったと覚えています。
 
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Last-modified: 2008-03-23 (日) 00:39:48 (4103d)