阪急の旧型車達 その1…木造車

No.6: 16番

 
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16+56+15のP−5三連 嵐山線上桂〜松尾神社間にて 1958年8月
 
1958年撮影ですから大学に入学した年に写した写真のはずです。新京阪の有名なP−5です。運転台の床下にMGがぶら下がっているのが見えますが、MGを搭載した木造電車なんてここだけではないでしょうか。
私の知るところでは、P−4として1925年2月に梅鉢鉄工所(現東急車輛)で新造された9〜13番、P−5として1926年3月に汽車会社東京支店(現川崎車両)で新造された14〜18番、同じくP−5として1927年3月に大阪の田中車両(現近畿車輛)で新造の19〜21番と梅鉢鉄工所で新造の22〜24番及び汽車会社東京支店新造の25〜28番、及び1929年3月に田中車両で新造の51〜56番の6グループからなります。最後に登場した51〜56は制御付随客車でした。新京阪時代は電動車がデロ10形、付随車がフロ50形と呼ばれていまして、電動車が20両、制御付随客車が6両の計26両の世帯でした。
1928年の新京阪鉄道開業に際して投入された電車でしたが、当時の営業区間が十三〜千里山間の北大阪電鉄の路線を継承した区間と新京阪線として新たに開業した淡路〜天神橋間でした。千里山〜十三間と千里山〜天神橋間で運転され、後に嵐山線が開業しますと桂〜嵐山間のローカルでも運転されました。京阪と阪急が合併した京阪神急行時代も、又旧京阪線が京阪神急行から分離独立した後も、廃車になるまで嵐山線と千里山線から外に出ることは無かったようです。
9〜18番は新造されたときはポール集電の600V用電車でしたが、1928年の1500V昇圧に際してポールをパンタグラフに取替え、MGも搭載しましたが何分車長10メーター余りの小型車でして床下スペースに余裕が無く非パンタグラフ側運転台の床下にぶら下げるのがやっとだったそうです。19〜28番は1500V車として新造されMGとパンタグラフは当初から装備しておりました。1933年側扉の自動化及び一部車両の片運転台化と貫通路新設が行われ、この時点で色々な外観の電車が出現しました。写真の16番は大阪側が非貫通運転台付きで、京都側の運転台は撤去され幌付き貫通路になっています。台車も製造年製造所によって異なっており、ブリル27MCB・住友KS30L・汽車ボールドウイン形BW54−18L・日車MCBとさまざまですが、戦後大幅な台車入れ替えが行われ雑多になってしまいつかみ難い状態ですが、写真の16番はボールドウインイコライザー形の汽車BW54−18Lを履いていました。更に1956年に四連化のためブレーキ改良が行われSMEがSMEEになりました。 写真を撮った当時の嵐山線は、休日には梅田〜嵐山間や三宮〜嵐山間の臨時急行が乗り入れましたが普段は閑散とした線路で、後出の100形が単行で、又は阪急唯一の流線型車200形や100形と1500形の二連運転か、写真の10形の三連運転が常で、阪急電鉄随一のローカル線でもありました。開通当初は複線で終点の嵐山駅も櫛型ホーム4本の立派なものでしたが、戦時中不急路線として単線化の上レールを供出させられ、以降今日まで単線のままです。
16番は1928年嵐山線が開業以来1962年3月に廃車になるまで嵐山線オンリーで活躍した電車だと聞きました。
 
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Last-modified: 2008-03-23 (日) 00:40:45 (3891d)