河内堅上は谷間の駅です

河内堅上駅は大和川に面した鄙びた駅でした。山が急に接近し大和川を真ん中にした浅いすり鉢状の渓谷になるこの辺りは、昔からの葡萄の産地で、斜面に葡萄棚が広がり人家はまばらでした。河内堅上駅辺りでは、猫の額のような畑が続く川沿いに、線路はゆるくエスカーブを描きながら進みます。
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河内堅上駅に到着するキハ35奈良方面行き普通列車 1972年4月 
電化工事がだいぶ進んだ1972年4月半ばの河内堅上駅の駅頭の光景です。当時はこの辺りは列車は30分ヘッドだったので、列車が来る5分前まではプラットホームには入れてもらえず待合室で待ちました。
駅名の通りこの辺りは未だ大阪府下でしたが、ローカル色の強い駅で、上りホームの真ん中に下りホームへの踏切があり、踏切への降り口の階段は列車が到着すると鉄の蓋を被せました。陸橋が出来たのは電化に際してです。

 
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C58-264 河内堅上付近にて 1959年5月3日 古鉄春秋
この角度からの蒸気機関車の写真は余り見かけません。小生も煙の様子などを見て何度かは挑戦しましたが、その度に煤煙の直撃を受けて酷いめにあいました。

 
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河内堅上付近を行くキハ35奈良行き快速列車 1972年4月
奈良行き快速にしては綺麗な編成です。このような列車がエンジン音も高らかに煙を噴出しながらぶっ飛ばしてゆく姿が関西線の魅力の一つでした。
昔、対岸に砂利採取場がありトロッコが運んできた砂利をここで貨車に積み込んでいました。廃止されて久しく、この写真を撮った時点で既に錆付いていたホッパーの残骸は今でも残っていると思います。

 
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河内堅上付近を行くDD51 1972年4月
前掲写真と同じ場所で写した回送のDD51です。機関車がヨ(車掌車)だけを引っ張っているのは当時の回送列車の姿で、自走するか貨物か荷物列車に組み込まれるのが回送の定番でした。他人にお見せできる写真ではないのですがDD51の回送の様子の見本として貼りました。

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Last-modified: 2011-12-01 (木) 13:14:17 (2697d)