気動車全盛時代の奈良線の思いで写真

 
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木津川橋梁にて 1963年5月の頃の写真です。
木津川の鉄橋はかくも素晴らしい物でした。奈良線はたまにはキハ30系も入線しましたが、写真のようにキハ10系やキハ44系改造の15系の天下でした。写真のキハ17は座席が狭く乗り心地が余り良くない車両でしたが、スタイルはなかなかな物で三両編成や四両編成で排気ガスを吹き上げながら疾走する姿はテツキチの心を揺さぶったものです。古色蒼然とした木津川橋梁を渡る姿は如何ですか。今では近代的なトラス橋に変わって221系や201系そして103系が行き来していますが、三十数年間のタイムギャップをを楽しんでください。

 
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上狛駅を出るC58−329 1971年5月頃の写真です。
上狛駅の腕木信号機が懐かしいですね。国鉄時代は単線区間の殆どがタブレット交換だったため腕木信号機はありふれた物でした。そして出発の許可を出すのが駅長の権限で、駅長さんは偉く見えたものでした。

 
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上狛付近にて 1971年5月頃の写真です。
奈良線の貨物はもっぱらC58牽引でした。宇治付近以外には大きな工場が無かった所為か小編成が多かったようで、もっぱら荷物車も併結していたように覚えています。運転速度も時速50キロ程度で至ってのんびりと走っていました。写真は↑と同じ列車で、上狛駅を出て木津川橋梁に向かっています。
 

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宇治駅で列車交換待ちのキハ17 1971年4月頃の写真です。
思い間違いでなければ奈良線で貨物ヤードがあったのは宇治と木幡駅だけだったと思います。宇治駅の近所に二本紡績の宇治工場があり駅と専用引き込み線で繋がっており、木幡駅は終戦までは木幡西部には陸軍宇治火薬製造所木幡分工場があったらしく駅からそこへの引き込み線の跡らしいものが残っていて、駅構内にも貨物ヤードが残っていました。京都宇治間は京阪宇治線が並行していまして、京都から宇治までは京阪電車が近鉄に乗り入れて直通運転していましたが、当時の奈良線は実にのんびりしたもので、対抗意識が全く無く、お急ぎの方は京阪を、ローカル線の旅をゆっくり楽しみたい方は当線をと言った感じでした。

 
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宇治川橋梁を渡るキハユ15+キハ17の三両編成列車 1971年4月頃の写真です。
奈良線で一般的な編成の普通列車でした。天王寺湊町始発の列車が多く木津までは五六両編成で来て前三両が京都行き後ろ二両が亀山行きなんてのが当たり前だったようです。奈良線では普通ですが関西本線では快速となる列車が結構有って、この編成で時速百キロぐらいで疾走されると乗り心地の素晴らしさに酔いしれた物でした。

 
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宇治川橋梁を渡る京都方面行きC58牽引貨物列車 1971年4月頃の写真です。
宇治大橋は今ほどの混雑しなかったようで、宇治はお寺の町の雰囲気が強く、お坊様は単車や車に乗って出歩くのでなく皆さん徒歩を専門としてらっしゃったようです。この列車は荷物車2両の後ろに貨車数量を繋いでいました。川原で遊んで居られる皆さんと言いのんびりした光景です。

 
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木幡駅に向かうキハ20普通列車 1971年4月頃の写真です。
今日とは別世界の木幡付近です。奈良方面行き気動車列車が木幡駅に進入する光景ですが、この線でキハ20系を見るのはどちらかと言えばまれだったと思います。この編成の先頭車はキハ17みたいで、真ん中がキハ28のような感じです。天鉄局独特の気まぐれ編成でしょうか。

 
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木幡駅の交換風景 1971年4月頃の写真です。
駅員さんが通行票の交換を行っている光景ですが、タブレットは手渡しでした。駅長がホームを歩く時間などを考慮して交換駅では5分以上の停車が常識でした。タブレットの交換を担当する駅長らしき姿が線路を横切っています。まもなく発車のはずです。

 
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木幡駅を発車したキハユ16先頭の三連京都行き普通列車 1971年4月頃の写真です。
好いですねこの編成。夏場は、停車中はサウナ風呂のような車内でしたが、動き出すと窓から風がどっと入ってきて、汽車の旅の醍醐味を味わった物でした。窓の開かないオールクーラー車の現在では味わえない乗車感です。

 
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六地蔵〜桃山間を行くキハ17四連列車 1971年4月頃の写真です。
この辺り電化されては居ますが今も余り変わっていないようです。しかし、この当時は木幡〜桃山間に駅はなく、六地蔵駅はJRになってから開業したと覚えています。キハ17四連列車は奈良線の名物でした。

 
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桃山付近を行くキハ35系を連結した六両編成 1971年4月頃の写真です。
関西本線と見間違う編成です。こんな列車も走っていたのですね。キハ35はサービスが著しく悪い気動車でした。特に奈良線の夏の暑さではこの車を敬遠した物でした。緑濃い木々の間を吹いてくる風もこの車を避けているようでして、座席に座って居るだけで汗だくになりました。

 
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京阪電車の鉄橋の下のキハ17 1972年4月に写しました。
東福寺駅南方で奈良線の線路と京阪電車の線路が入れ替わります。この辺りは鳥羽街道が線路に並行していて昔からの古い町並みが続く下町でもあります。道路沿いに建ち並ぶ家々の裏側の線路をキハ17三連とキハ20の京都行き四連の普通列車が東福寺駅に差し掛かってきました。

 
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東福寺駅付近のキハ17二連列車 1972年4月に写しました。
↑と同じ場所を撮った写真です。下町の中を通り抜ける区間は奈良線沿線ではここだけですが、乱雑な裏通りを掠めて通り過ぎるキハ17列車鯉のぼりが見送っていました。まもなく端午の節句です。

 
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DE10−1092が牽引する荷物列車 東福寺駅にて1972年4月に写しました。
単線時代の東福寺駅です。奈良線のディーゼル機関車列車を写した写真はこれだけです。運転本数が少なかった所為ではないでしょうか。東福寺駅も大きく変化した駅の一つです。

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Last-modified: 2011-12-01 (木) 13:14:53 (2757d)