阪急電車の旧型車達

その2…雑形車(1)

 

他社から購入した車両も在籍しました。これらの購入車両と、木造車のシャーシを使って新造した98+99番を雑形車として区別していました。主に神宝線の支線運用に用いられました。

 

No.23:98番

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西宮北口駅の平面交差を通過する98番+99番  1960年8月
98番+99番が1957年に甲陽線に登場し、廃車になる1960年2月まで甲陽線専用車として活躍しました。見るからに木造電車を鋼体化したこの98番の前身は51番でした。1950年7月に前面が三枚窓で連結面が広幅貫通路の半鋼製片運電車に試験的に更新されましたが、機器台車類は51番の物をそのまま引継ぎ、付随客車化された1形の5番を間に挟み、同じく試験的に半鋼製片運車に改造更新された78番とコンビを組んで、51番+5番+78番の3両固定編成で宝塚線で活躍しました。610形が登場するに及んで、1955年に610系に機器類を譲った500形に機器類を提供し固定編成も解かれて制御車となったのですが、1956年7月に1形の電気機器とブリル27E−1台車を譲り受けて98番に改番、99番に改番された78との固定編成で伊丹線甲陽線専用車としてデビューし、程なく甲陽線専用車になり、7番8番の引退後を引き受けた95番と交代で運行されました。やがて収容能力が低い所為で昼間または休日運用になりましたが、1959年12月に苦楽園口甲陽園間の踏み切りで乗用車と衝突し、損傷の程度は軽かったのですが修復されること無く1960年2月廃車されてしまいました。
1956年は神戸線に1010形が登場し四両編成で特急に急行に普通に活躍しだした年で、全長2.2kmの盲腸線の甲陽線はこの年になってやっと票券閉塞式が自動閉塞式に改められ、途中の苦楽園口駅で交換する事で朝夕の12分間隔運転が実現したのでした。まだまだ本線と支線の格差の大きい時代でしたが、当時苦楽園口に住んでいた者にとっては二両連結の電車が運転されるようになったことはとても嬉しいことで、今でもこの電車に愛着をもっています。写真は90番+91番か92番+93番と交代して入庫のため西宮北口に帰ってきたところだと思います。夙川駅の引込み線の配線の具合から、甲陽線内では98番が甲陽園向きになりました。
西宮北口駅の神戸線今津線の平面交差は橋上駅舎化された1984年までありましたが、橋上駅舎建設で今津線が南北に分断され消滅しました。ちなみに平面交差が健在だった頃は神戸線のダイヤが優先され、今津発の宝塚行き電車は交差点の手前で結構長い間信号待ちさせられり、今津行き電車はホームでの長時間停車を余儀なくさせられていました。
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No.24:99番

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西宮車庫で憩う99番+98番  1958年5月24日
98番の相方99番です。78番の改造改番車で、98番のパンタグラフ無しスタイルです。こちらは夙川向きでした。当時の甲陽線は37kgレールを使用していまして、ブリル27E1台車を履いていましたので走行中の横揺れは相当な物で、朝のラッシュ時に混みあう車内で気分が悪くなる人が多々あった事を覚えています。二日酔いの時には乗りたくない電車だったのではないでしょうか。
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No.25:95番

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95番  1958年3月13日西宮車庫にて 古鉄春秋氏写真
国鉄最初のボギー電車ホデ5が前身です。1926年(大正14年)12月に西宮北口〜今津間が開通した今津線の増強用に1927年(大正15年)5月目蒲電鉄から譲り受けた六両の内の一両です。1909年(明治45年)5月ホデ5として日本車両で製造され、1911年(明治44年)1月に鉄道院の国鉄車両形式称号規程に従ってホデ6100形6104に改番、1913年(大正2年)4月に車両形式称号規程の改正でナデ6104に改め、翌年の8月29日にデハ6250形6254となり、1927年(大正15年)3月に目蒲電鉄に譲渡されデハ48となり、更にその5月に阪急に移り90番に、戦時中の1944年(昭和19年)に95番になりました。目蒲電鉄からの入線になっていますが国鉄からストレートに来たのが真相のようです。
もともとは16mの木製電車で、当初は開放式の出入り台が両端部にあり、出入り台の中央部に運転台が設けられていて当時の路面電車同様運転台の仕切りがありませんでした。前面は湾曲していて三枚固定窓で非貫通になっていました。客室部のみがモニター屋根となっていってベンチレーター無しでした。屋根裏の天井は垂木が剥き出しで、座席は背ずりもモケット張りのロングシートでした。出入り台と客室は仕切られ、両開き式の引戸の幅の広い出入り口が設けられていたそうです。台車は軸箱を板バネで支えるヨーロッパ式の特殊な物だったようで、シーメンス・シュケルト社製(45.5ps)のモーターを4個装備し、直接式制御で、制動装置は直通空気式で、単車運転を建前とした設計だったようです。
阪急に入線したときには既に改造を受けていて、妻形状が切妻に変更され、前後の出入り台と客室との仕切りが撤去され、側面に運転室窓、客室の両端と中央部に引戸式の乗降口が設けれて片側3扉となり、モニター屋根側面の明かり取り窓が潰され片側4箇所に魚雷形ベンチレーターが設けられていました。間接制御式で、自動空気ブレーキを設備した連結運転が可能な構造になっており、台車も釣り合い梁式の明治45年標準形(TR−10)に交換されて、原型からはかけ離れた形状となっていました。
阪急では入線時に、台車を広軌用に改造、コントローラー・ブレーキをGE製に交換した他は、シーメンス・シュケルト社製の狭軌用モーター等国鉄時代のものがそのまま使われました。改番前の90番時代は91番(後94番に改番)と伴に1940年5月に営業廃止になった上筒井支線(西灘〜上筒井間)専用車として使用され、上筒井線廃線後は伊丹線専用車になりました。
戦時中、資材不足で部品の手当てがつきにくくなったことから阪急標準品でない部品を排除する為に、1944年にモーターを阪急標準のGE社製のものに、台車をブリル27E2に交換の上95番に改番され、1946年に相方の94番を漏電による火災で失ってからは7番8番に混じって甲陽線でも使用されるようになり、1952年に鋼体化され、1955年4月に7番8番が廃車になってからは甲陽線専用車になりました。
90系の鋼体化車両の中で阪急入線当時の姿を一番留めている電車で、前面が非貫通になりガーランド式ベンチレーターをモニター屋根に片側5ヶずつ配した以外はかなり忠実に木造時代の姿を再現しています。
レールの余り良くなかった甲陽線での走行中の横揺れはかなりの物でした。中央扉付近を軸にローリングするのですからたまりません。つり革が網棚の木製の桟にぶつかる音がとても賑やかでした。晩年は甲陽線での閑散時のみの運用となり昇圧の対象からはずされ、1966年4月に一線を退き93番と伴に西宮車庫内の事業用に使用されましたが1967年10月の昇圧と同時に廃車になりました。
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No.26:90番

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90番+91番  1960年1月 伊丹線稲野にて
90番は現在鉄道記念物になっているナデ6141と兄弟の電車でした。大正2年の後半に新橋工場で製造された木製両運転台式制御電動車で、12台両製造されたうちの3両が目蒲電鉄を経て大正15年(1926年)5月阪急に入線し93番〜95番として今津線で使用されました。中央線専用車だった為16m級木造車ではあったのですが車幅が少し狭く2.43mでした。大正9年(1920年)に国鉄車両としての標準化改造工事が施されまして木造省線電車の標準スタイルになっていましたが、妻面の三面折妻形状は残っていました。制御装置は総括制御ができる間接式で、GE製の70psモーターを4台搭載し、台車は93番がTR−10を94番・95番がブリル27E2を履いていました。昭和19年(1944年)に部品不足対策の為に制御付随車に改造、台車をTR−10に統一して、車番を93番→92番、94番→91番、95番→90番に改番、600形との二両連結で引き続き今津線専用車として使用しました。
戦後の電車不足からGE製のモーターを再度搭載して電動車に戻り、90番+91番、92番+93番のコンビで伊丹線専用車になり、木造車体が老朽化しているところから昭和28年(1953年)に95番に引き続いて90番+91番が鋼体化工事を受けて写真の姿になりました。鋼体化後昭和36年(1961年)11月に二両ユニット化されて片運転台になり連結面には貫通路が新設され幌が付けられました。昭和41年(1966年)12月に廃車されるまで、偶に甲陽線に顔出しする事がありましたが主に伊丹線で使用されました。
ブリル27Eを履いた95番と違って、TR−10のお陰で乗り心地が結構良かったように覚えています。原型の面影を残して妻面にアールをつけたりモニター屋根をそのまま維持したり、当時の阪急は外来車であってもその特徴を残して阪急スタイル化する技術に優れていました。
現在の伊丹線は塚口から伊丹まで線路脇に住宅がびっしり並んでいますが、1960年頃は随所に畑があり郊外電車の雰囲気を充分に感じる事ができたようです。
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No.27:91番

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ユニット化された91番+90番  1962年1月20日西宮車庫にて 古鉄春秋写真 
90番の相方の91番です。昨日紹介の90番と同じ履歴の持ち主です。
この当時の西宮車庫はカメラを持って受付へ行き目的を話すと快く入場させてくれました。古鉄春秋氏は再三出向くので受付警備の係員とすっかり顔馴染みになってしまったそうです
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≫阪急電車の旧型車達の目次
≫[1]…木造車(1):7番・21番・32番・復元1番・40番,
≫ …木造車(2):懐かしのP5達(1)
≫ …木造車(3):懐かしのP5達(2)
≫ …木造車(4):引退したP5達
≫ …木造車(5):55番・68番・86番・80番
≫[2]…雑形車…雑形車(2):92番・93番・97番
≫[3]…大正の鋼製釣掛車(1)…300形
≫ …大正の鋼製釣掛車(2)…600形
≫[4]…新京阪の顔P−6(1):104番・106番・139番・109番・143番
≫ …新京阪の顔P−6(2):142番・120番・1501番・1504番・117番
≫ …新京阪の顔P−6(3):107番・118番・1526番・134番・120番
≫ …新京阪の顔P−6(4):1515番・134番・131番・107番・1522番
≫ …新京阪の顔P−6(5):114番・125番・124番・146番・1500番
≫[5]…近代電車の旗手900形(1):900番・901番・902番・905番
≫ …近代電車の旗手900形(2):913番・912番・911番・906番・919番
≫[6]…ミスター阪急 920形(1):922番・920番・953番・951番
≫ …ミスター阪急 920形(2):922番・925番・928番・958番・959番
≫ …ミスター阪急 920形(3):930番・961番・964番
≫ …ミスター阪急 920形(4):936番・969番・973番・943番・975番

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添付ファイル: fileh=023_1960^08_ys001_西宮北口_mc98+99.JPG 1252件 [詳細] fileh=026_1960^01_ck006_稲野_mc90+91.jpg 1026件 [詳細] fileh=024_1958^0524_ck016_西宮車庫_mc99+98.jpg 843件 [詳細] fileh=025_1958^0313_ys004-06_西宮車庫_mc95.jpg 743件 [詳細] fileh=027_1962^0120_ys053-19_西宮車庫_mc91+90.JPG 951件 [詳細]

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Last-modified: 2011-12-01 (木) 04:14:09 (2733d)