阪急電車の旧型車達

その4…新京阪の顔P6(2)

 

No.45:142番

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デイ142番 1969年8月 柴島駅にて
両運転台・パンタグラフ付き全鋼製制御付随客車509番が電装されてデイ142番になりました。昭和二十七年(1952年)に正雀工場で更新工事を受けた際に京都側運転台が撤去され片運車になりました。神宝線と違い運転台が完全に撤去されて座席が延長されましたので運転台の痕跡は残りませんでした。
この写真を写した時には大阪地下鉄6号線(堺筋線)の天神橋ー動物園前が既に営業していましたが、京都発着の大阪行き普通電車は全て天神橋止まりで、そのお陰でP6が主に使用されていたようでした。看板も薄緑色の地に「京都 天神橋 間」となっていて見分け易いようになっていました。天神橋折り返しの電車は、北千里行きが四両連結、京都(河原町)行きが三両連結編成が主体でした。
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No.46:新幹線上の120番

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デイ120番 1963年8月29日 水無瀬付近にて
東海道新幹線の工事中、並行する区間の高架化の為に新幹線の線路を仮線に使ったのは有名な話ですが、写真は水無瀬付近の新幹線の線路を走行する120番です。二両編成の総重量が100トンに及ぶP6は地盤を固めるのに大いに役立ったと思います。
120番は最後まで改番されなかった電車でした。
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No.47:新千里山駅の1501番

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フイ1501番 1963年8月29日 新千里山(南千里)駅にて
千里山線の千里山ー新千里山間が開通した日、新千里山駅で梅田〜新千里山間運用についているフイ1501番を写しました。生憎天候が余り良くなく、今にも降り出しそうな天気でしたので、写真の写りももう一つピリッとしないのが残念です。
フイ1501番は制御付随客車です。昭和四年(1929年)二月にフイ530〜539番の530番で、田中車両で竣工しました。新造当初からの半鋼製片運転台車両でして、窓は上昇式二段窓に、座席はロングシートになっていました。外見による車両の特徴は、リベットが少なくのっぺりとした感じで、屋根が頒布張りになって浅く平らな感じになりました。全鋼車と比べると可也形体が変わっておりました。
千里山線は昭和四十二年(1967年)八月二十九日の北千里延長の際に千里線と改称されましたが、それに先立つ昭和三十四年(1959年)二月十八日に十三ー梅田間の三複線開通を受けて京都線が梅田ー京都(大宮)間に変更され、従来京都線の一部だった淡路ー天神橋間が千里山線に組み入れられ、この日より梅田ー千里山直通運転が開始されました。千里山線の神崎川橋梁の強度を考慮に入れて梅田乗り入れ車両はもっぱら700系に限られ、当初はP6が入る余地は無かったようですが、千里山ー新千里山(南千里)延長工事にあわせて千里山線の規格向上も行われ、新千里山開通の日には梅田ー千里山間にP6の四両編成、天神橋ー千里山間にP6の三両編成電車の運用が実施され、ここに至ってP6が新京阪営業路線だった線区の全てに入線出来るようになりました。昭和二年の登場以来四十年の歳月が流れていました。
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No.48:淀川橋梁の1504番

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フイ1504番 1962年10月30日 十三にて 古鉄春秋写真
京都線急行電車の五両編成運転は1962年10月から始まりました。西院駅と大宮駅のホームの有効長の関係で最後尾車両の乗降口は両駅では閉切ったままでしたが、駅の出口が駅の前方一箇所だけだった為、余り混乱は無かったようです。
P6は昭和二年(1927年)に誕生し、昭和四十八年(1973年)には全車が廃車になりました。四十七年間に渡って、グラウンドを変える事無く活躍した事は特筆に価するのではないでしょうか。
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No.49:大山崎付近の117番

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デイ117番 1963年3月16日 大山崎ー水無瀬間にて 古鉄春秋氏写真
大山崎ー上牧の間は、阪急京都線に並行して東海道新幹線の新設工事が行われていました。この区間の高架化を当初は考えていなかったようですが、新幹線と共同で行った地盤調査の結果、写真の辺りが極めて軟弱な地盤であることが判り、地盤強化工事と併せて、高架線にすることに踏み切ったようでした。そして高架工事期間中は新幹線を仮線路として使用したのでした。この写真は仮線路が未開通の時のもので、やがて無くなる線路を大山崎駅を出て水無瀬に向かうデイ117先頭の天神橋行き普通電車です。
当時京都線の普通電車は全て天神橋行きで、1963年頃から三両編成が多くなり、その殆どがP6による運行でした。既に新型車1300形や余剰部品を再用して1300形と同じ車体と台車を新造した1600形も登場していましたが、乗客増が著しい神宝線や千里山線の増強が優先され、京都線の普通列車は冷遇されていていたようでした。ファーンにはその方がありがたく、五両編成の急行や三両編成の各駅停車と、P6の素晴らしく醍醐味のある乗り心地を未だ未だ満喫できたのでした。
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≫阪急電車の旧型車達の目次
≫[1]…木造車(1):7番・21番・32番・復元1番・40番,
≫ …木造車(2):懐かしのP5達(1)
≫ …木造車(3):懐かしのP5達(2)
≫ …木造車(4):引退したP5達
≫ …木造車(5):55番・68番・86番・80番
≫[2]…雑形車(1):98番・99番・95番・90番・91番
≫ …雑形車…雑形車(2):92番・93番・97番
≫[3]…大正の鋼製釣掛車(1)…300形
≫ …大正の鋼製釣掛車(2)…600形
≫[4]…新京阪の顔P−6(1):104番・106番・139番・109番・143番
≫ …新京阪の顔P−6(3):107番・118番・1526番・134番・120番
≫ …新京阪の顔P−6(4):1515番・134番・131番・107番・1522番
≫ …新京阪の顔P−6(5):114番・125番・124番・146番・1500番
≫[5]…近代電車の旗手900形(1):900番・901番・902番・905番
≫ …近代電車の旗手900形(2):913番・912番・911番・906番・919番
≫[6]…ミスター阪急 920形(1):922番・920番・953番・951番
≫ …ミスター阪急 920形(2):922番・925番・928番・958番・959番
≫ …ミスター阪急 920形(3):930番・961番・964番
≫ …ミスター阪急 920形(4):936番・969番・973番・943番・975番

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添付ファイル: fileh=047_1963^08-29_ys105-10a-1_新千里_tc1501etc.JPG 1269件 [詳細] fileh=049_1963^0316_ys075-07a-1_大山崎_mc117etc.JPG 931件 [詳細] fileh=046_1963^0829_ys105-15_水無瀬_mc120etc.JPG 1003件 [詳細] fileh=048_1962^1030_ys067-20a-1_十三_tc1504etc.JPG 858件 [詳細] fileh=045_1970^08_017_柴島_mc142etc.JPG 1122件 [詳細]

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Last-modified: 2011-12-01 (木) 04:14:46 (2733d)