阪急電車の旧型車達

その4…新京阪の顔P6(5)

 

No.60:北千里行き普通の114番

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柴島駅辺りを行く北千里行き普通の114番 1970年8月
大阪地下鉄の6号線(堺筋線)の天神橋ー動物園前間が開通したのは1969年12月6日ですので、この写真当時は千里線と相互直通運転が始まっており、北千里〜動物園前間・高槻市〜動物園前間で普通電車の直通運転が阪急は3300形、地下鉄は60系五両編成車を使用して行われていました。旧形車は防災上の制約から地下鉄線に乗り入れることが出来ませんで天神橋止まりになっていました。使用できる車両の制約で、京都〜天神橋間と北千里〜天神橋間電車はもっぱらP6の四両編成電車を、北千里〜梅田間電車はP6か700系の六両編成電車を、梅田〜京都川原町間急行にもP6の六両編成車が使用される運用でした。但しP6の急行に巡り会わす機会はラッシュ時以外では可也まれだったと覚えています。万博開催中で、千里線では梅田〜北千里間に万博準急が運転されたり、天神橋〜北千里間に普通電車を増発したり、運転頻度が高かった時期でした。
P6オンリーの編成写真を見ると、今でも美しいと思います。
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No.61:60:十三駅に進入する125番

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京都行き急行の125番 1957年12月19日 古鉄春秋氏写真
十三ー梅田間の京都線用複線線路新設工事中の写真です。電車は宝塚線の線路を進行中で、600Vの電圧下、P6には十三駅から新淀川鉄橋に至るこの勾配が非常な難所でした。超重量級の電車がモーターのうなり声を轟かせながら自転車並みの速度で進むのですから、見た目にも気の毒な感じでした。運転手さんは途中で止まったら如何しようとひやひやしながら運転していただろうと想像します。
京都線分離前のP6の超低速運転を覚えておられる阪急電車利用者だった方たちが、今どれぐらい居られるかと思うと時の流れの早さを痛感します。
この写真では急行の看板が運転台側にぶら下がっています。これは京都線の常識では考えられないことで、普通用の看板は運転台側、急行用の看板は車掌台側と言うのが京都線の伝統でして、とても貴重な写真だと思っています。ちなみに神宝線では普通・急行・特急に限らず運転台側に下げるのが伝統でした。
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No.62:十三駅を出る125番

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北千里行き六両編成のシンガリ125番 1969年7月 十三にて
十三駅の宝塚方面ホームで写した北千里行き普通電車の後追い写真です。昨日の写真からは十二年が経過しています。
京都線分離以前の十三駅では、京都線ホームは現在同様5番6番ホームでしたが、6番線は行き止まり式の折り返し線で千里山行き専用になっており、5番線が梅田〜京都間直通電車の専用になっていました。宝塚線との合流分岐は駅を南に出た所だったと覚えています。梅田行き乗車口は千里山行きホーム側に、京都行きホームは宝塚線梅田行きと同じホームにあって、乗客が錯綜しないように工夫されては居ましたが、地下道が整備される前は構内踏切がネックになり、朝夕のラッシュ時にはホームから線路に飛び降りて横断する人が続出していました。
京都線分離後は、5番線が京都千里山方面行き、6番線が京都線電車の梅田行き専用、従来在った折り返し線が7番線になり京都方面行き普通電車の折り返しホームとして使用されていました。これは梅田駅の京都線ホームが2番線3番線の二本しかなかった影響だったはずで、殆どの京都線直通の普通電車は十三駅で折り返していました。1973年11月に梅田駅に1番線が完成した後も、万博関連の輸送量の増加で、北千里方面行きの電車が増発され、川原町方面行きは十三折り返しの「冷や飯」状態でしたが、1975年の万博終了後は京都線電車も梅田発になり、十三折り返し車はなくなりました。写真の一番奥の線路が折り返し線です。構内歩道橋の新設等駅改良工事の際に、京都線梅田方面行きホームの拡張でこの折り返し線も姿を消してしまいました。
北大阪電鉄時代に敷設されたこのカーブはとても深いカーブで、北西を向いていた線路が北東向きに変わってしまいます。北大阪電鉄時代に建設された路線はこのような深いカーブが随所にありました。
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No.63:檜尾川橋梁辺りの124番他京都行き急行

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檜尾川橋梁を渡り京都へ向かう124番他四両編成急行電車 1960年5月30日 高槻市ー上牧間にて
古鉄春秋氏写真
鉄橋は現存しますが、この長閑な風景は見られなくなって久しいです。京都行き電車で高槻市駅を出て暫くしますと左の車窓には京都大学農学部の試験農場が広がり、その向方の山裾に築堤の国鉄線が、右の車窓には国道177号線(西国街道)が少しはなれて並行し、丸大ハムの工場が既に在ったか如何かははっきりしませんが、淀川の堤防に至る田園が見渡せる広大な風景で、唯一視線を遮るのが蛇行しながら続く天井川檜尾川の築堤でした。電車は10パーミルの勾配で上り鉄橋渡って10パーミルの勾配を下って左にカーブを切り上牧駅へと進むのですが、向方の国鉄線に同じ方向に走る電車や列車を見つけると狂喜した物で、P6のほうが早いぞと頭の中で叫びながらどんどんと先行して行くのを楽しんだものでした。P6の醍醐味が味わえる最高の区間の出発点がこの檜尾川橋梁前後の勾配だったのです。
写真手前の農家の門がとても印象に残っておりまして、この門を見て国鉄線の方を見やるのが通学時の習慣でした。写真には写っていませんが、阪急線と国鉄線との間と、国鉄線むこうの山の斜面はたて看板銀座でもあり、おびただしい数のたて看板が乱立していました。新しい住宅の立て込んでいる今では昔語りです。
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No.64:パンタグラフの無い電動車146番

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淡路駅3番ホームに停車中の146番 1957年5月 古鉄春秋氏写真
144〜151番はデイ100の最終グループに入ります。制御付随車だった522〜529が昭和十二年(1937年)に電装された車両です。両運転台式の半鋼製車両でパンタグラフを装備しておらず、リベットが多く並んだボディーは良く目立ちました。写真は116番と2両連結の京都行き普通運用についていて、淡路駅で梅田発の千里山行きと連絡中の光景です。映っている千里山行きの電車は屋根の感じから1300形改造の750形と思えます。このグループは144番を除いて梅田乗り入れ用の改造を受けてなかったので、阪急時代も十三駅に姿を現すことは無く、もっぱら天神橋ー京都間のローカルに勤しんでいたようです。グループの中では寿命も短かったほうで、万博終了後の1971年には廃車されてしまいました。
写真当時の淡路駅には、使用されていませんでしたが未だ1番線ホームがありまして、上屋の一部が写っています。
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No.65:元フキ500の1500番

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1500番 1960年5月桂車庫にて
昭和三年(1928年)十一月六日に京都御所で執り行われる昭和のご大典に合わせて川崎車両で新製されたフキ500が前身です。貴賓車として一両だけ、半鋼製の中間付随車で誕生しました。扉間の広窓の部分が元貴賓室で、車内の壁面はチーク材がモザイク模様に組まれ、床には赤い絨毯が敷かれ、ソファーにマントルピース、大理石のマントルピースの上には黒田清輝の風景画「嵐峡」が掛けられていて、手前の乗降口の左の部分が随員室だったそうで洋式トイレの設備があり、向こう側扉のあたりには調理室の設備があり、乗務員扉の中は電鉄の職員の待機室だったそうです。製造に当たり当時の最先端の技術が動員され、リベットの無い溶接構造のボディーでした。当初は黄褐色に塗られていたようです。
戦時色が濃くなりだした昭和19年の阪急との合併後に一般車に格下げされ、フイ501形同様片側二箇所の自動扉が新設され、ロングシート化やチョコレートブラウンの塗色に変更が行われました。戦後の昭和二十四年京都ー神戸間の特急電車の運転開始に際してクロスシート化され、よく昭和二十五年三月に西宮北口駅南側の空き地と西宮球場を会場に開催されるアメリカ博覧会の宣伝色であるイエロー地にコバルトブルーの細帯を窓下に配し、連結面辺りの腰板部をコバルトブルーに塗り分けたスタイル(鉄道ピクトリアル紙No/663号の165ページに浦原利穂氏の写真が掲載されておりますので、可能な方はご参照下さい)で再登場しましたが、京神特急は神戸線用の複電圧新車702番+752番(802番+852番)と703番+753番(803番+853番)が専用車両になった為もっぱら100形に挟まれて梅田ー京都間の急行で活躍し、アメハク後の昭和25年に、ガーランドベンチレーターをグローブベンチレーターに取替え、レッドマルーン色に変更されました。更に昭和27年ナニワ工機で本格的更新工事を受けた際、再度ロングシート化され、乗務員扉が撤去された他は独特の窓配置はそのまま残りました。万博後の昭和四十六年に引退しました。
大学生時代通学の際何度か乗った経験がありますが、車内の壁面が新製当時のままで独特の雰囲気があったことを今でも覚えています。
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≫阪急電車の旧型車達の目次
≫[1]…木造車(1):7番・21番・32番・復元1番・40番,
≫ …木造車(2):懐かしのP5達(1)
≫ …木造車(3):懐かしのP5達(2)
≫ …木造車(4):引退したP5達
≫ …木造車(5):55番・68番・86番・80番
≫[2]…雑形車(1):98番・99番・95番・90番・91番
≫ …雑形車…雑形車(2):92番・93番・97番
≫[3]…大正の鋼製釣掛車(1)…300形
≫ …大正の鋼製釣掛車(2)…600形
≫[4]…新京阪の顔P−6(1):104番・106番・139番・109番・143番
≫ …新京阪の顔P−6(2):142番・120番・1501番・1504番・117番
≫ …新京阪の顔P−6(3):107番・118番・1526番・134番・120番
≫ …新京阪の顔P−6(4):1515番・134番・131番・107番・1522番
≫[5]…近代電車の旗手900形(1):900番・901番・902番・905番
≫ …近代電車の旗手900形(2):913番・912番・911番・906番・919番
≫[6]…ミスター阪急 920形(1):922番・920番・953番・951番
≫ …ミスター阪急 920形(2):922番・925番・928番・958番・959番
≫ …ミスター阪急 920形(3):930番・961番・964番
≫ …ミスター阪急 920形(4):936番・969番・973番・943番・975番

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添付ファイル: fileh=061_ys002-07_十三_mc125etc.JPG 1382件 [詳細] fileh=062_1969^07_ck017_十三_mc125.jpg 1513件 [詳細] fileh=063_1960^0530_ys031-29_高槻_mc124etc.JPG 1129件 [詳細] fileh=064_1957^05_ys007-06a-1_淡路_mc146.JPG 1420件 [詳細] fileh=065_1960^05_003_桂_t1500.jpg 991件 [詳細] fileh=060_1970^08_ck013_柴島_mc114etc.JPG 1649件 [詳細]

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Last-modified: 2011-12-01 (木) 04:14:49 (2733d)