阪急電車の旧型車達

その5…近代電車の旗手900形(2)

 

No.71:神戸行き特急の913番

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特急運用に付く913番五両編成 1967年11月10日 夙川ー芦屋川間にて
この編成は当時の900系の典型的なものでした。普通電車にも五両編成が使用され始めていて、800系や1000系は四両編成、900系は五両編成が神戸線の通り相場でした。写真の編成は大阪側からmc913+mc927-tc957+mc928-tc958になっていたはずです。
写真の場所は夙川ー芦屋間川間の真ん中あたりで33パーミル勾配区間のサミットになっていまして、このあたりでは電車はフルノッチでモーター音を轟かせながら通り過ぎてゆきます。つり架け電車の走行音を存分に楽しめる場所だったのですが、今日では写真撮影は先ず無理です。
1966年頃からATS機器設備用のスペース確保の為に900形最後の更新改造工事が始まりました。この写真の913番は未だ両運のままでしたが、間もなく運転機器や電装を解かれ付随車に改造されてしまいました。編成の先頭に立つ900形が無くなった1969年頃から神戸線でも六両編成が主流を占めてきました。913番も1977年に廃車になっています。
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No.72:912番・911番

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両運転台電動車時代の912番 1963年11月西宮車庫にて 古鉄春秋氏写真
狭幅の貫通路幌を取り付けたままの912番です。912番は1964年に西宮工場で中間付随車化されましたので、最後の雄姿を撮った写真です。
ボールドウイン台車のデッドコピーである汽車会社製のL−17台車を履いていましたのを住友金属製の鋳鋼イコライザー式KS−33Lに履き替え、ウインドシルを平形に更新してリベットの頭を省略し、連結器をスプリングをかませたセンター復元式のものに代えています。当時主に今津線で使用されていましたが、1964年には運転機器と電装を撤去し中間付随車に改造されてしまいました。
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中間付随車化された911番 1969年8月西宮北口にて
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No.73:西宮北口付近の906番

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神戸行き特急の906番他五両編成 1962年1月21日 西宮北口東方にて 古鉄春秋氏写真
西宮北口駅から武庫川橋梁の間は大正時代に建立されたコンクリート電柱が並ぶ名所でした。このコン柱のアーチを潜りながら疾走する900系電車の姿は実にサマになり、線路脇に何度も足を運んだ物でした。しかし、この名物区間も名神高速道路建設による線路移設でメモリアル・シーンになって久しいです。900系五連の三ノ宮行き特急電車が西宮北口駅に向かって速度を落とし始めた脇では、610+660番が路盤を固める作業に勤しんでいる、懐かしい光景です。
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No.その74:急行運用の919番

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宝塚行き急行の919番他五両編成 1962年4月 十三にて
915〜919番は1966年に中間電動車に更新改造されるまでほぼ原型を保っていまして、汽車会社製のボールドウイン型L−17台車を履き両運のままでした。この写真の919番が原型と異なる点と言えば、窓下のシルが山形だったのが平帯になっている点、アルミサッシ、貫通路に幌取り付け枠の設置ぐらいでしょうか。900形新製時は全車がボールドウイン型L−17台車を履いていました。
「こんな編成もあったんだ」と驚くのは、920形との昆結編成で900形の919番が宝塚側に連結されていることです。両運転台のままだった為になせる業だと思います。余り記憶にありませんし、とても貴重な写真だと思っています。

宝塚線は昭和二十七年十月には大型車両運転の為の規格向上工事を終えていましたが、大型車の導入が車両事情もあり遅々として進みませんでした。急カーブの多い線路事情の上速度が遅く小型車ばかりで、沿線人口の急増で非常に混雑する状態になっていて、利用者達は「宝塚線はボロ電車」と特に神戸線に対してコンプレックスを抱いていました。その乗客達の怒りが爆発したのが昭和三十一年(1956年)二月二日に庄内駅構内で起こった「庄内事件」でした。当時の宝塚線は木造車こそ淘汰されていましたが、600形が入線していたとは言え少数派で、320形や500形などの小型車が付随客車に改造された300形を中間に挟んでの4両連結運転が主力で、朝のラッシュ時には服部・庄内・三国駅では見切り発車で積み残しが出るのが常態化していました。そんな中服部駅を出た大阪行き普通電車が故障で停止し、運転の継続が出来なくなってしまい、超満員の乗客(200パーセントを超える乗車率だったそうです)を線路に降ろして、「庄内駅で大阪行電車を仕立てますから」との案内で庄内駅まで誘導しました。しかし庄内始発の電車は待てど暮らせど姿を現さず、開通後も超満員の電車ばかりが到着して歩かされた人達が乗れる状態には程遠い有様で、終に怒りが爆発し「俺達を先ず乗せない限り電車は通さない」と一千人以上の乗客が電車の前に立ち塞がってしまいました。多数の警察官が動員されたりしましたが混乱は修まらず、事態を深刻に受け止めた小林米三専務(後の社長)が怒れる乗客たちの前に立って説得して三時間余りの混乱がやっと収まりました。専務が乗客の説得の際に言明した約束の実現の為に、急遽900形の915〜919番と920形の一部が宝塚線に送られ、宝塚線車両大型化の本格的スタートが切られたのでした。そして昭和三十六年には宝塚線では大型車による五両編成運転が始まりました。
写真当時の宝塚線急行は終日運転で、15分間隔で運転され、途中停車駅は十三・石橋〜宝塚間の各駅でした。普通電車と並行運転していましたが、急行は宝塚〜大阪間の普通を途中駅の曽根で追い抜いていました。また、大阪〜池田間の折り返し普通電車も終日15分間隔で運転されていまして、池田駅で急行と連絡していました。
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≫阪急電車の旧型車達の目次
≫[1]…木造車(1):7番・21番・32番・復元1番・40番,
≫ …木造車(2):懐かしのP5達(1)
≫ …木造車(3):懐かしのP5達(2)
≫ …木造車(4):引退したP5達
≫ …木造車(5):55番・68番・86番・80番
≫[2]…雑形車(1):98番・99番・95番・90番・91番
≫ …雑形車…雑形車(2):92番・93番・97番
≫[3]…大正の鋼製釣掛車(1)…300形
≫ …大正の鋼製釣掛車(2)…600形
≫[4]…新京阪の顔P−6(1):104番・106番・139番・109番・143番
≫ …新京阪の顔P−6(2):142番・120番・1501番・1504番・117番
≫ …新京阪の顔P−6(3):107番・118番・1526番・134番・120番
≫ …新京阪の顔P−6(4):1515番・134番・131番・107番・1522番
≫ …新京阪の顔P−6(5):114番・125番・124番・146番・1500番
≫[5]…近代電車の旗手900形(1):900番・901番・902番・905番
≫[6]…ミスター阪急 920形(1):922番・920番・953番・951番
≫ …ミスター阪急 920形(2):922番・925番・928番・958番・959番
≫ …ミスター阪急 920形(3):930番・961番・964番
≫ …ミスター阪急 920形(4):936番・969番・973番・943番・975番

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添付ファイル: fileh=072-1_1963^1108_y006-35_西宮車庫_mc912.JPG 1272件 [詳細] fileh=074_1962^04_ck012_十三_mc919etc.JPG 1227件 [詳細] fileh=073_1962^0121_ys053-25_西宮北口_mc906_mc610.JPG 1388件 [詳細] fileh=072-2_1969^08_ck010_西宮北口_t911.jpg 1014件 [詳細] fileh=071_1967^11_ck023_夙川_mc913etc.jpg 1505件 [詳細]

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Last-modified: 2014-02-18 (火) 02:15:04 (1889d)