阪急電車の旧型車達

その6…ミスター阪急 920形(2)

 

No.80:最晩年の922番

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920形ばかり6両編成の先頭車922番 1977年5月2日西宮北口にて 古鉄春秋氏写真
920形の廃車は1978年当たりから始まりました。この写真は最晩年に近い922番ですが、この電車が近々廃車ですかと疑いたくなるような感じがしました。とにかく阪急の車両に対する心入れには、阪急電車で通勤していた時代も、沿線に住まう親戚や友人を訪ねるのに利用する現在も、乗るたびに感心しっぱなしです。これだけ車両の手入れが行き届いている鉄道は、阪急と阪神に限られるのではないでしょうか。乗っていても清々しいのですから。只ここ数年乗客のマナーが可也落ちたのが気になります。特に高校生や学生のマナーが悪いですね。一般の乗客より優遇された料金で乗させて貰っているのだと自覚させる教育が必要だといつも思うのですが。
今津線の線内運用の電車も1975年頃から6両連結が見られるようになりました。この写真の頃には920形のみならず、大型三扉車に改造された810系や1000系の6連が当たり前になっていました。二扉車が多少不便になっていたことは確かで、その事が廃車を早めたのではないかと思います。廃車後は他の私鉄へ移る事無く解体されたのが実に惜しいです。あの重々しいモーターの唸り声が聴けなくなってしまいました。
なお924番のデスマスクが“920番”の戒名で保存されているそうです。
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No.81:終戦直後の925番

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原型の925番 1945年9月 西宮車庫にて 撮影者不明 
920形の925〜928番及び950形の955〜958番の8両は昭和11(1936)年3月に入線し、第2次車グループを構成しました。第1次車の改良型で、台車はスエーデン製のローラーベアリングを標準装備した住友金属製のビルドアップ・イコライザー式台車KS33Lを履き、第1次車が軽量化を図る目的で付随車の台車に電動車のL17型台車より小型のL15型台車を装備していたのに対し、電動車付随車共に同じ物としていました。ベンチレーターは、第1次車は900形と同じガーランド形を屋根中央に一列に6基を配置していたのに対して、第2次車はハーフガーランドベンチレーター12基を左右対象に二列に配置していました。相違点として挙げられるのはこの程度です。
写真は筆者の物ではなく、裏面に鉛筆で「昭和二十年九月 西宮」と書き込みがありますので、終戦直後に写真が撮れる立場の人が写されたのを五十数年前に頂戴した物だと思います。当時結構電車少年でしたので、古い写真の在庫を調べるとこう言った物が見つかることがあります。非常に貴重な写真で、戦争直後の極度に物資が不足していた時期に写された撮影者には頭が下がる思いです。
完全なオリジナルスタイルの925番ですが、ご時勢柄でしょうか、元来一本だった窓の鉄棒が二本に増やされています。塗装がはがれたりして可也くたびれた様子ですが、当時の阪急マンの心遣いの素晴らしいのは、窓ガラスがちゃんと整備されていて代用品で補われていません。国鉄や南海・近鉄では板張り窓の電車が当たり前のように運転されていた時代にガラス窓を維持する努力は並大抵ではなかったと思います。
この写真を見てふと思い出したことがあります。それは、昭和20年8月6日の西宮芦屋空襲で西宮車庫が被災し、工場の建物や車両七両が焼失しました。あやふやな記憶ですがたぶん927+957番だったと思うのですが、甲陽線苦楽園口駅の下り線に疎開してきて、半年ばかり留置されていました。故障車だった為、工場の被災と資材不足から修理が無理で留め置かれたのだと思いますが、近所の悪がきの格好の遊び場となり、引き上げた時の車内は見るも無残な状態になっていました。本人も悪がきの一人だったのですが、今では幼少の頃の懐かしい思い出です。
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No.82:更新928番

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928番 1970年1月 西宮車庫にて 
六両編成の先頭車928番ですが、四両編成の920形が一番サマになると思っておりますので、六両では長すぎて余り好きにはなれなかったのですが、当時は六両編成運用にしなければならない切羽詰った必要性がありました。沿線人口の急速な増加です。
1956年2月2日の「庄内事件」の話は先日書きましたが、特に神戸線と宝塚線の場合沿線が平地と山の手にはっきりと区分でき、平地はその殆どが耕作地でした。高度成長期に入った1950年頃から「文化住宅」と呼ばれる2階建て長屋が耕作地を埋め立てて無秩序にどんどん進出しだし、阪急沿線と言う一種の「ステータスシンボル」を掲げて居住者を募って増殖して行ったのでした。この長屋を「関西文化」と呼んでいましたが、瞬く間に沿線の耕地と言う耕地を埋め尽くし、もともと水田にしか向かない湿地帯だったのが、「関西文化」の進出でいつの間にか住宅密集地になってしまい、市場が出来、市場の賑わいで庄内駅が開業しました。園田等の阪急直営の「広い庭付きの文化的な住宅」がある駅も、駅を中心にして駅前には戦前の「広い庭付きの」文化住宅が、その外側を最新の「関西文化」が取り巻く構造が出来上がりました。また1958年に「遺産取得税」が変更されて、個人所有の大規模不動産の相続税が巨額になり、相続税の支払いの為に手放す人が続出し、売却された邸宅が不動産業者の手で大規模なマンションに変身し分譲され、1970年頃はマンションブームが最盛期を向かえておりました。神戸線・宝塚線沿線にこの形での人口増加が尤も顕著に現れていたと言えます。
沿線の都市化が一番顕著だったのが宝塚線沿線でした。1963年頃には中型車の六両編成運転が始まり、宝塚ー梅田間急行や池田ー梅田間の折り返し電車、箕面ー梅田間の準急などが六両編成になり、1969年8月の宝塚線電圧昇圧で小型車が完全追放されてからは全列車が六両編成になりました。写真の編成は宝塚線で使用されていたのが、定期検査のため西宮工場に入ったのを写した物です。
920形の更新工事が始まったのは1967年ごろだったと思いますが、早いめに更新工事を受けた電車は運が良くて、大きな改造を受けること無く生まれながらの能力を廃車になるまで存分に発揮出来ました。写真の編成は第2次車第3次車混成で、mc928-tc958+mc929-tc959+mc930−tc960だったと思います。今でもそうでしょうが、とにかく編成の番号を揃えるのが旧阪急の伝統で、新京阪線にも700系誕生の折に押し付け、P−5・P−6が無くなってからはすっかりしみこませてしまいました。形式の最初の番号を“0”番にする阪急の伝統と、“1”番にする新京阪の伝統は長い間守られていましたが、今はどうなんでしょうか。
この編成の廃車は1977年ごろではなかったでしょうか、今津線で活躍中を見たのが最後でした。
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No.その83:夙川辺りで958番を

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958番 夙川ー西宮北口間にて1959年11月03日 古鉄春秋氏写真
神戸線の夙川駅と西宮北口駅西方の御手洗川橋梁間の高架新線が開通したのが1967年3月21です。1965年の夏ごろに上り線が線路北側の道路に盛り土をして移転、上り線の線路に下り線が移転、下り線から高架橋建設工事に取り掛かったのですが、完成までにおよそ二年半の期間がかかっています。その後阪神大地震で壊滅しましたが、見事に復旧し今では何事も無かったかのように、開通当初からの状態で使用されています。
写真は高架化前の夙川駅と西宮北口駅西方の御手洗川橋梁間の風景の一部ですが、大井手町の踏み切り辺りで上り線を走行中の920形6両編成を捉えたもので、958番の台車がL-17台車に代わっている以外は殆どオリジナルスタイルです。恐らく朝のラッシュ対策で、中形車の特急電車を六両編成にする為の試運転だったと思うのですが、未だ2000形が登場していない当時、810形及び1000系の大型車は特急も急行も四両連結、900系や800形の中形車は五両編成が通常で、西宮北口で大阪行きの特急に乗り換えるとその混雑ぶりは酷い物で、乗った時の姿勢のままで十三まで我慢するのが日常でした。
線路の周囲は、写真では未だ畑の残るゆったりした住宅地の雰囲気が漂っていますが、この辺りもすっかり変わりました。高層とは行かなくても低層や中層のマンションが増え、震災で古い家々が破壊され、プレハブ住宅が建ち並ぶ被災地特有の街並みになってしまいましたが、各戸が比較的広い敷地な所為か街全体がゆったりしているのが大きな救いです。
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No.その84:今津線の959番

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959番 今津線西宮北口付近にて1959年11月01日 古鉄春秋氏写真
写真は神戸発宝塚行き三両編成の普通電車で、西宮北口駅を出て間もなくだと思います。バックの家並みは神戸線開通の頃に阪急が分譲した住宅街です。
929〜933番及び959〜963番は第3次車グループ(929形)となり、昭和12(1937)年3月に川崎重工で竣工し入線しました。基本的には920形の延長上の車両ですが、窓下のシールが平帯となり車体外部からリベットが完全に消え、ベンチレーターが弁当形になり、電動車の台車が川崎重工製のイコライザー台車川崎ー16に、付随車の台車が汽車会社製の大型ボールドウイン台車L−17になりました。戦前で車両製造技術が最も優れていた時期に製造されただけに、第3次車と第4次車はとても垢抜けした洗練されたスタイルで、好ましい電車でした。この電車が登場した頃には、阪急電車のハイグレードさが関東にまで知れ渡り、阪急神戸線は日本一の高級通勤電車として名声をほしいままにしていたようです。
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≫阪急電車の旧型車達の目次
≫[1]…木造車(1):7番・21番・32番・復元1番・40番,
≫ …木造車(2):懐かしのP5達(1)
≫ …木造車(3):懐かしのP5達(2)
≫ …木造車(4):引退したP5達
≫ …木造車(5):55番・68番・86番・80番
≫[2]…雑形車(1):98番・99番・95番・90番・91番
≫ …雑形車…雑形車(2):92番・93番・97番
≫[3]…大正の鋼製釣掛車(1)…300形
≫ …大正の鋼製釣掛車(2)…600形
≫[4]…新京阪の顔P−6(1):104番・106番・139番・109番・143番
≫ …新京阪の顔P−6(2):142番・120番・1501番・1504番・117番
≫ …新京阪の顔P−6(3):107番・118番・1526番・134番・120番
≫ …新京阪の顔P−6(4):107番・118番・1526番・134番・120番
≫ …新京阪の顔P−6(5):114番・125番・124番・146番・1500番
≫[5]…近代電車の旗手900形(1):900番・901番・902番・905番
≫ …近代電車の旗手900形(2):913番・912番・911番・906番・919番
≫[6]…ミスター阪急 920形(1):922番・920番・953番・951番
≫ …ミスター阪急 920形(3):930番・961番・964番

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添付ファイル: fileh=083_1959^1103_ys025-18_夙川_tc958etc.jpg 988件 [詳細] fileh=084_1959^1101_ys029-20_西宮北口_tc959etc.JPG 853件 [詳細] fileh=080_1977^0502_ys213-24_西宮北口_mc922.JPG 1409件 [詳細] fileh=081_1945^09_x001_西宮車庫_mc925.JPG 1230件 [詳細] fileh=082_1970^01_069_西宮車庫_mc928etc.jpg 990件 [詳細]

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Last-modified: 2011-12-01 (木) 13:14:22 (2734d)