阪急電車の旧型車達

その1…木造車(3):懐かしのP5達(2)

 

No.11:淡路駅の13番

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13番 淡路駅にて 1958年8月28日 古鉄春秋氏写真
13番は大正12(1925)年2月に梅鉢鉄工所で新製されました。この写真当時の千里山線は淡路ー千里山間の5キロ余りの支線で、沿線の千里丘陵地は竹林で覆われた里山と川沿いに細長く続く畑作地で、線路際に僅かに住宅が見られる程度でした。関西大学が沿線最大の施設で、大学前が最も賑やかな街だったと覚えています。
北大阪電鉄が1921年に千里山に開業した千里山遊園地と、1922年に千里山に移転して来た関西大学へのアクセスとして、1921年4月1日に阪神急行電鉄の十三駅と豊津を結ぶ線路を敷設したのが起源でした。同年10月26日に豊津から千里山まで延長しました。北大阪電鉄は千里山地域に所有する土地での住宅経営と遊園地の経営を目的とした会社で、電車を高速で走らせる考えが全く無く、東海道本線の旧線跡地や農地に向かない土地を安く購入して線路を形成し、為に路盤軟弱、急曲線だらけ、地形に従順な線路で高速運転とは全く無縁でした。淡路から南下して天神橋六丁目で大阪市電や阪神電鉄北大阪線と接続する計画があって免許も得ていたようですが淀川を越えて線路を敷く能力がなかったようです。
新京阪鉄道が京都ー大阪間の淀川の西岸に高速鉄道を建設する計画が具体化したのを機に、天神橋〜淡路間に線路敷設免許を持っていた北大阪電鉄の鉄道部門を買収し1925年10月15日に天神橋ー淡路間を開業しました。開業に際して1925年2月に梅鉢鉄工所で9〜13番、1926年3月に汽車会社東京支店で14〜18番を新造しました。電圧600Vの高床の路面電車タイプで車長10メートル余りの小型木造車でしたが、親会社京阪電鉄に模して連結運転が可能なように、東洋電機製80Hpモーターや間接制御器及びSME方式のブレーキを装備しました。そして9〜13番の台車にはブリル27MCBを、14〜18番の台車には住友製ブリルMCB形(KS30L)を採用しました。
淡路〜高槻町間の開通に備えて1928年に1500Vに昇圧の際にポールをパンタグラフに交換して1500V車に改造、非パンタ側運転台の床下にMGをぶら下げました。沿線の大学のお陰で乗客の伸びが顕著で連結運転が常態化しましたので、1943年3月頃には両側または片側の端面に貫通扉と連結通路用の幌を取り付け、客室扉を自動化し写真のスタイルとなりました。
写真の電車は天神橋発ですが、当時の千里山線は十三発と天神橋発とが交互に運行されていて、車両は全て10形車でした。新京阪色が濃く残っていまして前面や側面の車番の表示の仕方や行き先看板をかける位置が阪急線とは全く違っていました。十三駅の片隅に停車している10形電車を見かける度、阪急の電車ではない感じがして、新京阪と言う名前がいつまでもこびりついていたものでした。
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No.12:千里山駅の19番

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19番 千里山駅にて 1955年5月撮影
この写真は高校生当時千里山の関西大学で模擬試験があり受験に行ったときに写したものと思います。関西大学は千里山の一つ手前の大学前駅にありましたが、千里山線に乗れる機会がめったに無かった当時、カメラを持参し試験が終わった後で千里山駅まで出向いて何枚か撮りました。当時の千里山駅は下り線側ホームが降車専用で、到着した電車は下り線ホームでお客さんを降ろして奥の留置線に引き上げ待機した後、上り線側の乗車専用ホームでお客さんを乗せて発車しました。写真の電車は天神橋行きですが、十三行きと交互に運行されていて、車両は全て10形車でした。
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No.13:淡路駅を出る天神橋行き四連のシンガリ24番

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淡路駅構内ポイントを渡る天神橋行き四連の24番 1960年8月 古鉄春秋氏写真
淡路駅を発車したP5四連の天神橋行きです。
余り注意してみたことが無いので最近はどうなっているのか知らないのですが、この写真当時は淡路駅には1番ホームが無く、2番・3番・4番・5番となっていまして、2番線は十三・天神橋方面から来て四条大宮・千里山方面へ向かう電車、3番線は天神橋方面から来て四条大宮・千里山方面へ向かう電車、4番・5番は四条大宮・千里山方面から来て天神橋・十三方面へ向かう電車が発着していました。10形の四連はなかなか迫力がありましたが、線路事情で実に低速走行でした。
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No.14:能勢電の11番

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能勢電鉄笹部付近の11番 1965年10月 古鉄春秋氏写真
この写真は松茸狩最盛期の日曜日のもので、二両連結の電車はどの電車もお客さんが溢れんばかりでした。笹部〜妙見口の間の現在のときわ台駅付近ですが当時は住宅も無く松茸狩の名所になっていました。11番と12番の二両編成で11番は阪急時代は21番、12番は27番でした。当時の能勢電がこんなに混むのは珍しく、秋の松茸のシーズンの日曜日か、正月の多田神社の初詣か、多田神社の大祭の日ぐらいだったと覚えています。線路状態が余り良くなかった所為か、電車は時速30キロ程度の実にゆっくりとした速度で運転していました。
当時の能勢電は全車10形で、千里山線で活躍していた電車の中から14両が移りましたが、移動に際して600Vへ降圧し、パンタグラフをポールに取替え、モーターを2個に減らし、MGの撤去を行い、車番も全て振り替えてしまいました。ちなみに能勢電番号10番〜15番と28番・29番は譲り受け、20番〜25番は借り入れでした。
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No.15:正雀車庫の19番

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19番 正雀車庫にて 1959年2月03日 古鉄春秋氏写真
前回の写真と見比べていただくと違いが分かると思いますが、新京阪色が少しだけ薄くなっています。19番はその後能勢電に貸し出され24番として余生を送り、1966年9月に引退しました。
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≫阪急電車の旧型車達の目次
≫[1]…木造車(1):7番・21番・32番・復元1番・40番,
≫ …木造車(2):懐かしのP5達(1)
≫ …木造車(4):引退したP5達
≫ …木造車(5):55番・68番・86番・80番
≫[2]…雑形車(1):98番・99番・95番・90番・91番
≫ …雑形車…雑形車(2):92番・93番・97番
≫[3]…大正の鋼製釣掛車(1)…300形
≫ …大正の鋼製釣掛車(2)…600形
≫[4]…新京阪の顔P−6(1):104番・106番・139番・109番・143番
≫ …新京阪の顔P−6(2):142番・120番・1501番・1504番・117番
≫ …新京阪の顔P−6(3):107番・118番・1526番・134番・120番
≫ …新京阪の顔P−6(4):1515番・134番・131番・107番・1522番
≫ …新京阪の顔P−6(5):114番・125番・124番・146番・1500番
≫[5]…近代電車の旗手900形(1):900番・901番・902番・905番
≫ …近代電車の旗手900形(2):913番・912番・911番・906番・919番
≫[6]…ミスター阪急 920形(1):922番・920番・953番・951番
≫ …ミスター阪急 920形(2):922番・925番・928番・958番・959番
≫ …ミスター阪急 920形(3):930番・961番・964番
≫ …ミスター阪急 920形(4):936番・969番・973番・943番・975番

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添付ファイル: fileh=012_1955^05_ck002_千里山_mc19.jpg 1300件 [詳細] fileh=015_1959^0203_ys022-28_正雀_mc19.JPG 1065件 [詳細] fileh=014_1965^10_ys136-36a_笹部_mc11+12.jpg 1108件 [詳細] fileh=013_1960^08_ys038-29_淡路_mc24etc.JPG 1095件 [詳細] fileh=011_1958^0828_ys012-30_淡路_mc13.JPG 1747件 [詳細]

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Last-modified: 2011-12-01 (木) 13:14:31 (2754d)