阪急電車の旧型車達

その1…木造車(5)

 

No.19:宝塚線の雄…55番

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池田車庫の55番 撮影時期及び撮影者不明
大正九年(1920年)七月十六日淀川の北岸十三から神戸市の東隣西灘村の上筒井に至る阪神直通線が開通した際に用意された電車で、堺市の鳳にあった梅鉢鉄工所で新造された本格的高速度電車でした。阪神直通線の開通に際しては既得権者阪神電鉄のさまざまな妨害に会って山手の人家まばらな地域に線路を敷設せざるを得なかった上、また神戸市の郊外電車は市内に乗り入れさせないと言う典型的な鉄道モンロー主義の所為で、上筒井>のような中途半端な場所にターミナルを設けさせられた為に大阪神戸間を既設路線よりも早く結ぶ高速運転が絶対要件で、とにかく速い強力電車として製作されました。
卵形五枚窓妻面の15メートル級三扉木造車で51番~62番の12両が登場、淀川~梅田間が併用軌道だったためポール集電でしたが弱め界磁機能を装備しておりまして、その後の阪急電車の車両の基本になる電車でした。
1922年にパンタグラフ化と自動連結器化され、1925年の大型車600形の登場で全車宝塚線に移り、自動扉化され、1953年に610形に生まれ変わるまで宝塚線の雄として活躍しました。
端面五枚窓卵型電車は大正時代の関西の大手私鉄の専売特許のようなもので、南海鉄道の電3形に始まる一連の形式や大阪電気軌道(現近鉄奈良線)のデボ1形などに代表されましたが、阪急では51形の12両のみでした。しかし、宝塚線を嘗て賑わした電車として最初に思い浮かべるのがこの51形です。
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No.20:池田駅の68番

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池田駅での68番  撮影時期及び撮影者不明
51型の第二陣として63番〜74番が大正10年(1921年)4月に梅鉢鉄工所で新造され神戸線に投入されました。端面が卵型では無く軽く湾曲した平妻になり運転台窓が三枚窓になりましたので63形として別形式で呼ばれていますが性能は51番〜62番と変わりません。
900形が登場した昭和5年(1930年)に51形の後を追いかけるようにして全車宝塚線に引越ししました。小型車時代の宝塚線では宝塚側に51形を、間に付随客車化された1形を挟み大阪側に63形と言うような編成がよく見られた物でした。電装品や空気周りは全てアメリカのGE製、台車はブリル27−MCBで、51番〜62番と同じく舶来品の塊でした。ちなみに大阪(梅田)〜神戸(上筒井)間の所要時間は、開通の時(1920年7月16日)は60分で五日後の7月21日からは50分だったそうです。
写真は終戦後の一番物の無い時代に写したものと思いますが、当時板ガラスがとても貴重品で窓ガラスが割れると板等で代用するのが常でしたが、阪急は小さなガラスを桟で繋いでまでして嵌め、ガラス代わりに板を張ることは決してありませんでした。少しでも快適な乗り心地をと、乗客サービスを最優先に考える阪急マンの気構えがそうさせたのだろうと思います。
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No.21:86番

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池田車庫での86番  京阪神急行電鉄五十年史より
阪急木造車の最後を飾る電車です。81番〜86番の六両が大正12年(1923年)10月に神戸の川崎造船所(現川崎重工)で誕生しました。車体のスタイルは63形とほぼ同じですが、モニター屋根にガーランドベンチレーターだったのが丸屋根にお椀形ベンチレーターに変わりました。
81形は製作当時としては非常に近代的な電車でして、パンタグラフや自動連結器及び自動扉を当初から装備し、台車は最先端技術のボールドウインBW-78-25Aを履き、将来の三両連結運転を考慮してブレーキにはウエスチングハウスのACM自動空気ブレーキを採用していました。梅田〜淀川橋梁間が併用軌道だった時代に誕生した電車でしたので運転台の前にカウキャッチャーを装備していまして、大正15年(1926年)7月に十三〜梅田間が高架新線に切り替わるまでそのスタイルだったそうです。
当初から二両連結運転され、梅田〜上筒井間を40分で走破し新生阪急の看板電車になりました。神戸線に900形が増備されて昭和12年(1932年)には全車宝塚線に移りましたので馴染み深いのは宝塚線時代の81形です。個人的な感覚ですが阪急の旧車両の中で一番スタイルの良い電車だったのではないでしょうか。造作がとても柔らかく優雅でボールドウイン台車がよくマッチしており、我国で製造されたつり架け電車の最高傑作だと思っています。この電車が好きで、学生の頃既に付随客車化されていたのを宝塚へ度々写しに行ったものです。残念なことに1955年から1960年頃の間に写したネガ写真アルバムの殆どを紛失してしまい、悔しい思いをしております。
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No.22:80番

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池田駅での80番  撮影時期及び撮影者不明
75番〜80番の5両は大正11年(1922年)9月に神戸の川崎造船所で製造された63形とほぼ同じ形の電車です。台車をボールドウイン78-25-AAに履き替えていたことから75形とよばれました。この電車以降暫くの期間川崎造船所(川崎重工)で全ての電車が製造されるようになったようです。
当初両運式の電動客車で神戸線に入線し、900形が登場した後の昭和6年(1931年)に宝塚線に移りました。79番・80番の二両と81形六両が昭和15年(1940年)宝塚線の三連運転開始に際して電装を解かれ、運転台撤去の上付随客車になりました。当時の三連は貫通路が設けられておらず車両間の行き来は出来ませんでした。モニターデッキだった所為で、戦時中の昭和19年(1944年)にT車化された1番〜6番・19〜32番とぱっと目には区別がつき難く余り目立ちませんでした。
52番〜77番・79番〜88番の51系電車は鋼体化されず貫通路も設けられず、昭和23年(1948年)に中央乗降口の拡幅と自動扉化の改造を受けただけで、ほぼ原型のまま昭和28年(1953年)終焉を迎えました。新造610形に装備を譲った500形に台車を含めた全ての機器を譲り解体されましたが、61番の車体が水間電鉄へ、81番86番の車体が栗原電鉄へ、66番76番84番の車体が和歌山鉄道へ移り、夫々手持ちの台車や機器等を装備して活躍していたそうです。
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≫阪急電車の旧型車達の目次
≫[1]…木造車(1):7番・21番・32番・復元1番・40番,
≫ …木造車(2):懐かしのP5達(1)
≫ …木造車(3):懐かしのP5達(2)
≫ …木造車(4):引退したP5達
≫[2]…雑形車(1):98番・99番・95番・90番・91番
≫ …雑形車…雑形車(2):92番・93番・97番
≫[3]…大正の鋼製釣掛車(1)…300形
≫ …大正の鋼製釣掛車(2)…600形
≫[4]…新京阪の顔P−6(1):104番・106番・139番・109番・143番
≫ …新京阪の顔P−6(2):142番・120番・1501番・1504番・117番
≫ …新京阪の顔P−6(3):107番・118番・1526番・134番・120番
≫ …新京阪の顔P−6(4):1515番・134番・131番・107番・1522番
≫ …新京阪の顔P−6(5):114番・125番・124番・146番・1500番
≫[5]…近代電車の旗手900形(1):900番・901番・902番・905番
≫ …近代電車の旗手900形(2):913番・912番・911番・906番・919番
≫[6]…ミスター阪急 920形(1):922番・920番・953番・951番
≫ …ミスター阪急 920形(2):922番・925番・928番・958番・959番
≫ …ミスター阪急 920形(3):930番・961番・964番
≫ …ミスター阪急 920形(4):936番・969番・973番・943番・975番

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添付ファイル: fileh=021_1940^01_x002a-1_池田車庫_mc86.jpg 1022件 [詳細] fileh=019_1940^01_x005_池田車庫_mc55.jpg 1120件 [詳細] fileh=022_1947^08_x002_池田_t80.JPG 835件 [詳細] fileh=020_1947^08_x001_池田_mc68.JPG 1281件 [詳細]

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Last-modified: 2011-12-01 (木) 13:14:32 (2699d)