亀の瀬の地すべりで新たに敷設された新線区間です

亀の瀬の手前で線路は大きくカーブし大和川の南岸へ渡ります 現在の三郷駅付近に在った藤井信号所辺りまでが大和川南岸に新線として建設された区間です 当時かぶりつき写真大好き人間だった小生にとって持って来いの撮影スポットが多く 線路脇でお目当ての列車が来るのを待ったものでした
1970年の2月1日も王寺辺りでキハ35を あわよくば時々姿を見かけるDF50をも写せればと訪れましたところ一帯は濃霧に覆われておりました 西宮からはるばる来た以上は退散出来るわけが無く その日一日この辺りをうろつきまわりました が途中から雨が降り出すやら散々だったことを覚えています 大和川と竜田川の合流するこの地域昔から霧が出るので有名なところで 特に雨上がりの気温が急上昇した冬の日などには多いと聞いていましたが まさか自分が濃霧に出会うとは夢にも思って居ませんでした 散々な目にあいながら写した写真ばかりを貼ってみました

 
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キハ45を先頭に六連の快速列車 藤井付近にて 1970年2月
先頭と次位の2両はキハ45で他はキハ35系4連の連結でした キハ45は和歌山の所属でしたのでこの列車王寺で分割の上前2両が和歌山線経由和歌山行きに キハ35は奈良方面行きになるのではないでしょうか 当時王寺で分割や連結する列車は少なくとも一時間に一本程度あったようでした

 
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キハ3519他四連の普通列車 藤井付近にて 1970年2月
綺麗な編成ですね これに憧れ 関西線にはよく通ったものでした
乗るとなると話は別で 冬場の奈良盆地は「奈良の底冷え」と言う言葉があるほど寒く キハ35は扉の部分から隙間風が入り込み寒くて寒くてお話になりませんでした 

 
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キハ17二連の快速列車 藤井付近にて 1970年2月
この列車には驚きました 当時キハを追いかけて加古川線や姫新線そして紀勢本線及び山陰線と彷徨いましたが この手の快速列車にめぐり合わしたのは後にも先にもこれだけです
キハ17は160psと出力の低いエンジン一機搭載のため徹底した軽量化が図られ 車長は20米有りましたが車幅が狭く車高も低く 車内は全てベニヤ板張りで 座席はボックス式のビニール張りの背刷りの低い狭いクロスシートでした 後に改造されたとは言え窮屈な感じがする車両でした ましてDT19台車は当時国鉄が失敗作と認めたほどで びびり振動に横揺れそしてローリングを伴い お世辞にも乗り心地云々ができる代物ではありません この列車にめぐり合わしたお客さんどんな気分だったでしょう 1970年当時に関西本線を疾走する快速にキハ17二連の列車が有ったなんて… 運転手さんダイヤを守るのに苦労なさったことだろうと思います

 
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キハ35四連の快速列車 藤井付近にて 1970年2月

 
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DF50 36が牽く荷物列車 藤井付近にて 1970年2月
当時は関西本線では奈良線のように客車列車にキユニが連結されたのを見ることは無く C58かDF50が牽引する荷物列車をしばしば目にしました DF50の場合は暖房用のボイラーを積んだ機関車が使用されたようです

 
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キハ20とキハ17二連の快速列車 藤井付近にて 1970年2月
このキハ20は200番代以降の車両のようで エンジンがDMH17C(180ps) 台車がDT22とキハ35系と性能上は変わりがありませんが連れ合いがキハ17とは… 有るものはとにかく使いましょうと言う主義が徹底している! 

 
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C58 329の牽く荷物列車 藤井付近にて 1970年2月
関西線は甲種規格の幹線であったにも関わらず蒸気機関車はC58とD51に限られており C57は入線しなかったようです 丙種規格のローカル線用に設計されたC58は機関車の全長を切り詰めるために1C1の軸配置で これが為高速運転が無理でした 一応最高速度は85km/hに設定されておりますが80km/hを上回ると揺れが酷かったそうです 複線化されたとは言え急カーブが多く線路規格の落ちる紀勢線にC57が入って 関西線は完全DL化まで何故C58だったのかいまだに不思議に思っています

 
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キハ35二連普通列車 藤井付近にて 1970年2月
編成が短いほうがサマになったように思います 特にキハ35だけの二連は好きでした

 
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キハ357を最後部にキハ35四連の湊町行き普通列車 藤井付近にて 1970年2月

 
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キハ45他六連の天王寺行き普通列車 藤井付近にて 1970年2月
キハ45二両は和歌山発大和高田経由天王寺行きで王寺で連結されたのだと思います

 
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キハ25先頭に六連の奈良方面行き快速列車 藤井橋梁南方 1970年2月
先頭のキハ25と次位の車は和歌山線経由和歌山行き その次の二両が桜井線方面 その後ろの四両が関西線奈良方面行きと思います

 
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キハ35二連の奈良方面行き快速列車 藤井橋梁南方 1970年2月

 
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キハ10が先頭の奈良方面行き普通列車 藤井橋梁南方 1970年2月 
恐らく片町線の空きを利用して 関西線列車の増結用に使われたと思うのですが 天王寺鉄道局の気風と言うか 有るものは何でも使えと言うのんびりしたものを感じます その所為か天鉄局は田舎臭いとよく言われたものでした


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Last-modified: 2006-05-17 (水) 23:12:00 (4757d)