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関西本線の奈良〜湊町(現在のJR難波)間の電化が完成したのは1973年9月20日 103系電車が走り出したのは1973年10月のダイヤ改正からでした
関西本線は歴史は古いのですが近代化がかなり遅れました 官鉄(国鉄の前身)に対抗し大阪名古屋間で熾烈な乗客奪い合い競争を繰り広げた歴史が災いしたのかも 明治40年(1907年)10月1日に国有化され省線の一部となってからは名前こそ本線となっていましたが冷や飯の食わされっぱなしで 戦時中には王寺〜奈良間のレールを撤去供出し単線化を余儀なくされると言った冷たい仕打ちまでも受け そのまま長期に渡ってうっちゃらかされ 再び複線に戻ったのは戦後も40年以上経った1961年の3月の末でした
複線化後も相変わらずのローカルぶりで 華やかな話題と言えば名古屋〜湊町間の急行『かすが』湊町〜伊勢間の急行『伊勢』東京〜湊町間のハネを加えた編成の夜行急行『大和』そして2年6ヶ月の短命に終わってしまった名古屋和歌山間の阪和貨物線経由の特急『あすか』程度でしょうか 1960年代に大阪市内に乗り入れる鉄道でほぼ一時間間隔で列車が走る線路は関西線と福知山線以外にはありませんでした とんでもないローカル振りだったと言えます 福知山線の近代化は更に遅れましたから関西線だけが冷や飯を食ったともあながち言えませんが
こんな関西線をよみがえらせたのが 1963年から3年間にわたり約400両量産されたキハ35系の投入でした(1972年末時点で奈良運転所にキハ36が25両キハ35が61両計86両配備されておりました) キハ35の登場で関西線も通勤路線の仲間入り 湊町〜柏原間では15分ヘッドの運転 王寺では快速が30分おきに各停も30分おき 王寺〜奈良間も30分間隔で運転と突然便利になったわけです 電化後そしてJR化後もダイヤは基本的には変わっていませんから キハ35投入が大変革を起こしたことになります
関西線といえばキハ35となるわけですが 正直申し上げて余り評判の良い車両ではなかったようです 先ず加速が悪い 夏暑くて冬寒い 排気ガスがとても臭う よく揺れて乗り心地がもう一つ 色々ありました しかし実にシンプルなスタイルのこの気動車を小生は好きでした
電化の噂を聞いてからはなおのこと当時関西線へよく通いました 写したネガはかなりの量でしたが カラーは風化やしみ等で全滅 モノクロも引越し等で大半を失い 残った物の中からめぼしいと思える物を選り集めて貼ってみました お気に召されるか判りませんが ごゆるりとご覧ください
 

なお キハ17系とキハ35系のカラー写真が色あせが酷く如何編集しても見れる代物が有りませんので 色見本として他線区の物ですがここに掲示しました ご参考戴ければ幸いです

 
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キハ17系の色見本です
 
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キハ35系の色見本です


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Last-modified: 2006-05-17 (水) 22:17:12 (4757d)