中山寺下滝間にディーゼルカーを追いかけました その六

武田尾辺り

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キハ58による急行列車 1971年9月16日生瀬〜武田尾間にて
この場所は生瀬〜武田尾間でもかなり武田尾よりで福知山線の列車を撮るのには最高に好きな場所でした。川原にも下り易く、よく通ったものでした。
 
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キハ58による下り快速列車 1970年2月生瀬〜武田尾間にて
上の写真とほぼ同じ場所で写したものです。線路脇のホッパーは採集した川砂利を汽車に積み込む為のものだったと思いますが、私がこの付近へ初めて来た1956年当時には既に錆付いた残骸をさらしていました。
 
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キハ58による快速列車 1970年2月武田尾にて
線路前方の木立の向方が武田尾駅です。この写真は対岸の旅館の門前辺りから写したものだと思います。この頃の武田尾は渓谷の温泉として名の知れた観光地でした。又この当時から「宝塚のチベット」と呼ばれる西谷へのバスが駅の近くから出ていました。駅の鄙びた佇まいに似合わず利用客が多い駅でもありました。
 
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キハ55+キハ10 1960年1月武田尾にて
この写真と次の写真は武田尾道場間の武田尾駅に近い辺りで写したものと思うのですがあまり自信がありません。
この列車には私も乗車したことがあり、キハ10の車内は背刷りの低い座席のピッチやシートが非常に狭くおまけにビニール張りでした。台車もスプリングの一部にゴムの塊を使ったものでお世辞にも乗り心地が良いとは言えませんでした。当然キハ25は満席キハ10はがらすきで寒さがひとしお身に凍みるものでした。スチーム暖房が効いた客車列車がとてもありがたく感じたものでした。
 
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キハ58による急行列車 1960年1月武田尾にて
今でこそ急行列車は北陸線の一部夜行列車か中国地方のローカル線以外では接することが出来ませんが、この当時は全盛時代でした。福知山線も急行列車の運行本数が多く気軽に利用したものです。急行列車の特急昇格が頻繁に行われだした頃からJNRの客離れが始まったと覚えています。
 

 

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Last-modified: 2008-03-08 (土) 04:45:45 (3906d)